奪われた村 避難5年目の飯舘村民
上映&監督トーク
奪われた村~避難5年目の飯舘村民
被爆地広島だからこそ、知っておかなくてはいけない真実がある
フォトジャーナリスト 豊田直巳が撮ったドキュメンタリー
広島初上映と豊田監督が見た「福島の今」を語る
福島第一原発事故から 5年!
避難を余儀なくされた飯舘村の人々を追ったドキュメンタリー作品「奪われた村 避難 5年目の飯舘村民」の上映会とフォトジャーナリスト豊田直巳監督を迎えてのトークショーを開催。福島の美しい村々から一体何が「奪われた」のかを皆さんにお伝えします。そして、広島にいる私達にはいったい何ができるのか?共に考えてみませんか?
2016年11月3日(祝日)
先着 100名 要申し込み 一般 700円 /学生 300円
場 所 合人社ウェンディひと・まちプラザ 北棟 6階 マルチメディアスタジオ
広島市中区袋町 6番 36号 TEL 082-545-3911
時 間 16:30~ 18:45 開場 16:15~
上 映 16:30~ 17:40
トーク会 17:50~ 18:20
質疑応答 18:20~18:45
ご希望の方は 10月 29日(土)までメールにてお申し込みください。但し、定員になり次第締め切ります。
お申し込みの際、メールにお名前・連絡先(電話番号)をお知らせください。(複数申し込み可)
お申し込みメールアドレス gcc@hiroshimaymca.org
お問い合わせ 公益財団法人広島YMCA 国際コミュニティーセンター
〒730-8523 広島市中区八丁堀7-11 Tel 082-228-1151(中奥)
共催:NO DU(劣化ウラン禁止)ヒロシマ・プロジェクト
協賛:核兵器廃絶をめざすヒロシマの会(HANWA)
監督 豊田 直巳 フォトジャーナリスト
映画「遺言 原発さえなければ」共同監督
3・11以降の主な著作
『フクシマ元年 原発震災全記録』(毎日新聞社)
『福島を生きる人びと』 (岩波書店 )
『福島 原発震災のまち』(岩波書店)共著
『TSUNAMI 3・11―東日本大震災記録写真集 豊田直巳編』(第三書館)
『JVJA写真集3・11メルトダウン』(凱風社 )
奪われた村~避難5年目の飯舘村民
監督 /撮影 豊田直巳 2016年 / 64分 / 日本語 / ドキュメンタリー
5年を経て明らかになる放射能汚染地帯の現実
福島第一原発の爆発直後のまだ村にヨウ素131が漂い、セシウムが強烈な放射線を放っている時期には「安全だ」と言われて村に留め置かれ、半減期8日の放射性ヨウ素が放射線を放って消滅した頃になって村民全員がふる里を追われた飯舘村。
以来、村人は放射線被ばくによる健康不安、慣れない仮設住宅に暮らすストレス、共同体の崩壊による孤独感を味わってきました。
そして時を経るごとに実感するようになるのは、原発事故によって奪われたものの大きさでした。
しかし、村を追われ、理不尽さを耐え忍んできた人々が、いま、声を上げたのです。原子力ムラに叛旗を翻すべく、ADRに申し立てたのです。
「謝れ!償え!かえせふるさと飯舘村」と。
このドキュメンタリー作品は人口の過半数を超える3000余名の村民が立ち上がった「謝れ!償え!かえせふるさと飯舘村」原発被害糾弾飯舘村民申立団の協力を得て取材撮影されました。
また製作に当っては同申立団を法的に支える弁護団の協力の下、ドキュメンタリー映画『遺言~原発さ得なければ』の共同監督でフォトジャーナリストの豊田直巳が、自らカメラを回し、また構成・監督を務めました。
撮影は昨年(2015年)3月から今年、4月まで1年に及びました。それは、村民が「奪われたもの」が何なのかを、製作する側が実感するためにも必要な時間でした。しかし、村人自身が「奪われたもの」が何なのかを自覚するまでには5年という、あまりに長い苦渋の歳月があったのです。
この作品に登場する村人の眼前に、そして心の中にあった「美しい村」から何が「奪われた」のか、是非、ドキュメンタリーをご覧いただき、こころに留め置かれること願いつつ・・・。
豊田監督から
「シリアには行かないんですか?」「今度はいつイラクに?」と聞かれます。でも、私には5年前から日本も戦場になってしまっていたのです。福島第一原発が爆発したとき、福島に向かっていた私はカメラバックにガイガーカウンターを入れていました。それは、イラクの戦場取材で使っていたものです。米英軍が攻撃機や戦車で撃ち込む劣化ウラン弾も目には見えない放射線を調べるためでした。
そして 、福島ではそのガイガーカウンター役に立ったのです。とても残念で悔しいことでしたが・・・・。 それにしても、その放射線測定器を「まさか日本で使うようになるとは」と 思いながら。
2年前に公開した映画『遺言~原発さえなければ』(野田雅也氏と共同監督)でも放射能から逃げ後れた住民の方は、高濃度汚染地帯に取り残されたままこう言ったのです。「目に見えない戦場で戦っているみたい」と。この『奪われた村』は、「見えない戦場」で続く「戦争」の下に生きる人びとのドキュメントです。
2016年6月 豊田直巳